本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

untitled

965文字。

 家でひとり虚空を見つめて時間を消費することが当たり前になった今日この頃、休職の原因となったうつ病の快復は絶望的に鈍く、乱れた生活習慣によって新しい病気まで発症してしまい、すっかり負のスパイラルを満喫してしまっている。

 かなりの期間放置しておいて、どうして今頃になってブログなんてものに帰ってきたのか疑問に思う人は沢山いると思うけど、それくらいこの状況を打破する手段が無くなってしまったということだ。

 家族は家族に出来ることを限界までやってくれていると思うし、病院の先生も出来うる最善の治療を選択してくれているはず。

 俺が一番期待した友達たちからのサポートというのはこの一年ほぼ無かったけど、それはしょうがない。

 だって、人にはそれぞれ事情があるから。

 凄く長い期間友達と思われる連中に対して救難信号らしきものを発信してきたのに、誰一人として具体的なアクションを起こしてくれなかったのは、当然みんなにはそれぞれ「他人に一言声をかける暇も無いほど時間が作れない事情」があったからでしょう。

 それか元々友達という関係性が偽物だったか。

 

 俺だってもうどうしようもないくらい疲労していたり、タスクに追われたりしていて他人を気遣う時間を作れないことがあったはずだから、友達だからと言って無条件に気遣ってくれることはないという悲しい現実は心得ている。

 もし時間を割くことが出来ないとき、俺に出来ることがあったとしたら、それは恐らく友達でいつづけることだけだ。しかし、恥ずかしい過去を白状してしまうと、だいたい昔から手を差し伸べたつもりが、口汚い言葉を返されて一切の連絡を拒絶されてばかりだったので、残念ながら友達でいつづけることが許されない経験が多い。

 

 それでも、例え俺の友達らに見て見ぬふりをする筋の通った理由があったとしても、憎い。心底憎い。もし、偶然道端で出会った時に、気の抜けた無防備な笑顔を向けられたら発狂してしまうくらいにね。

 

 最近はもう体を元気な状態に戻す意思を失う瞬間が多くなってきた。諦めて終わるわけじゃなく、力尽きて終わるのなら、悔しいけど認める他ない。とにかく闘い続けるというのは疲れる、ただ疲れる。

 誰か、完全に戻ってこれないところまで諦めきってしまわぬように、最小限度で良いので元気を分けてください。

 お願いします。