本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

99.9%がセメントで残り0.1%がダイヤモンド

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 また気持ちが落ち込んできたので、たっぷり時間がある仕事帰りの電車内でのんびりと考えたことをここに纏める。色々書いたけど、この一か月程度で大勢が決するような気がする、何となくね。あと、別にセメントに価値がないって意味ではない。

 

 最近は折角気持ちが上がってきたのかなと思ったら、また直ぐに落ち込んでしまった。でもきっとまたすぐ浮上して、その後またすぐ落ち込むのは分かってる。昔から何度も言っているけれど、躁状態鬱状態を行ったり来たりして気持ちを振り回されるのはもうこりごりだ。希死念慮と格闘するのも飽きてきた。

 もはや躁の自分も鬱の自分も嫌いだ。

  この世に絶望して全てを投げ出してしまってもいいが、ふと視線を送った窓ガラスに映った男の顔は腹が立つほど陽気だし、絶望に身を任せた行動が馬鹿げたことだっていう判断が出来る程度の冷静さがあるのもまた忌々しい。というか、どう考えても何度考え直しても、この世に落ち度はなく俺自身が何もかも足りていないことは明らかだから、この世に絶望するのは間違っている。

 もし絶望するとしたら、まず、俺自身。

 

 しかしちょっと考えれば、この世には手放したくないものが数えきれない程あるのは明白。

 野球で感動する瞬間も、F1でエキサイトする時間も、Gabrielle Aplinの歌も、Norah Jonesの歌も、尾崎の歌も、素敵な女性の虜になるのも、美術館で絵を鑑賞するのも、母親の料理も、その他俺が感動する全てのものも、現時点で手放すには惜しい存在だ。

 大切でかけがえのない存在であることを実感できる瞬間は、極めて少ないけれど、その極めて少ないものたちに縋ってやっと毎日を過ごすことができている。ただ、やはり割合が圧倒的に小さい事実が俺を殺しに来る。

 

 残された毎日を人生としてしっかり使うかは、例えるなら99.9%がセメントで残りの0.1%がダイヤモンドで構成された石をどれだけ美しいと思えるかで決まると言える。最近は視力も落ちてきて、その輝きも目に入らなくなってきているし、技術不足で何度も加工に失敗している。

 今はまだ僅かに混ざったダイヤを必死に削り出す作業に夢中だけど、例えば、完全に興味をなくしたとしたら、俺は。