本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

思考の割り込みが行動を消極的にする

674文字 ちょっと未完成だけど、考えの途中経過を書き残す。

 最近、思うことがある。

 球場で野球を観たり、ライブに行ったりしてみたい。

 そんなの勝手にやりゃあ良いんだろうけど、俺は行動する時に必ず一つの思考が割り込んでくる。

「発作が起きたらどうするの?」

病気を持つ俺にとっては凄く深刻な議題だ。しかし、人間が人生を楽しむことをやめるにしては、ちゃっちい悩みかもしれない。

 

 去年の秋は一人でオーケストラを見に行けたじゃないか、俺だって本当にやりたいと思ったことは出来ると証明できたことを忘れちゃいかん。本当に一人で行動するのが不安な時は、詳しい人に声をかけて、必要であれば事情を話せば良い。話さなくても、きっと楽しくて忘れてしまうさ。

 

 人との付き合いにも同じことが言える。

「病気のことを受け入れてくれるだろうか」

という思考の割り込みが、人との関わりを消極的にする。

 何故病気のことを受け入れて貰わないと親しくなれないと思い込んでいるのか自分でも分からない。確かに特別親しい人には知っておいて欲しいが、全ての人に開示する必要はない。ここ最近は自分の素の人柄を受け入れてくれる人が沢山現れたじゃないか、好きな人と好きなように関わっていけば良い。

 

 だから、思考の割り込みが行動を消極的にするなら、俺はその思考が呼び出されたと同時に新しい思考を呼び出して上書きしてやることにする。

 いつも言ってる

「うるせえ、俺は心のままに動く」

 

 今まで生き方を変えてまで新しい行動を起こしたいと思わなかったけど、26年目の人生だから、あと50年の人生だから、少し生き方を変えてみたい。