本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

なんと軽快、なんと軽率

私は皆が思うほど人生に絶望していません。

 

それは自分の歩む速度であるとか、洗面所の鏡や街のガラスに映る顔だとかを確認すれば良く分かります。

 

なんと軽快、なんと軽率なことでしょう。

 

絶望するほど大切にすることもなく、寧ろ玩具のように捉えているようです。しかし如何にも現代人の迂闊な性質を象徴しているようで、私も他の人間たちと同じである実感を得る事ができます。いくら人間を憎んでも、人間から生まれた人間です。

 

周囲の連中は、私は自分以外の人間たちを見下して、その人間たちが作った社会で退屈そうに生きているように感じているかも知れません。もしかしたら、家族だってそう思っているかも知れません。現に、私は何度も軽薄な判断で全てを投げ出そうとしました。しかし全ての場面で無責任にその決意を放棄して生きてきました。

 

当人らには微塵の自覚さえ無いでしょうが、決意を放棄する理由となった数々の出会いや言葉そして表情ひとつひとつに感謝しています。

こんな不特定多数が訪れる場で、自覚のない人達に感謝を向けても、何の意味もないことはわかっています。

 

それでいいのです。

 

彼ら彼女らにとって、さらにお互いにとって不特定多数の内の一人というどうという事のない存在だったからこそ、皆は救ってくれたのだと思うからです。そのお陰で今では笑えないほど猛烈な片想い野郎になってしまいましたが。

 

私を救ってくれた全ての人たちの足取りがいつまでも軽快で、腹が立つほど軽率な表情でいてくれることを願います。