本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

弱者に対する救済へのチャレンジ

803文字

 ある男の生き方は一見して実に窮屈だ。

 当人の雰囲気は、実に呑気でチャランポランとしているのだが、それに反して彼のものの考え方は、良く言えばクソ真面目、悪く言えば頭でっかちなので

「こうあるべきだ、こうでなければならない」

という窮屈さが目立ち、やがて自らを追い込む危険性が高い。当然周りの人にも度々指摘されている。

 しかし彼は、自分の考え方を外から見た時、何とも堅苦しく、柔軟性に乏しいものなんだと感じられてしまうことをしっかりと自覚している。

 ではなぜ、一見してしんどいくらい窮屈で凝り固まった考え方をやめず、しかもそれをわざわざ人に話すのかは、世間の弱者に対する救済へのチャレンジ精神が関係している。

 

 彼は、物事を考えすぎる傾向にある人達によく掛けられる

「自分の心のままに生きれば良い」や「自分の直感を信じて進めば良い」

という何の悪気もなく人を思考停止にする魔性の言葉に対抗心を持っている。確かに肩の力を抜いて、思うように生きることは精神的にも良い事ばかりだと認める一方で、考えることをやめてしまって思考停止に陥ることを危険視し、

「考えるならとことん思考することを貫く生き方もアリ」

という理念を持っている。

 

 さらに、彼の思考は以下のように続く。

 「心のままに生きるにしても、頭で考えて生きていくにしても、常に本当に大切なことの答えを導き出すことは簡単なことではない。心で決める人は、ちゃんと自分の心がどちらを向いているのかを捉える必要があり、頭で考える人は、自分の倫理に則った論理で組み立てた答えの探求を続ける必要がある。ただ、どちらの生き方をするにも常にその土台には『こういう生き方もあるべ』という力の抜けた感じ方あるいは考え方が必要だ」

 

 当然彼は、それを頭で理解し、心で納得しているはずで、だからこそ今日も彼はこんなことをダラダラとクソ真面目だが、何の窮屈さも感じず、楽しげに考えながら過ごしている。