本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

暇を消化するためにフラッと世界を俯瞰する機会は訪れない

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 病気だった僕が一浪してまで適当に勉強して、適当な大学に進んだ一番の理由は、物理をもっと深く学びたかったとか、就職のためだとか、そんなご立派なものではない。

 

 正しい答えは

『暇を持て余した瞬間、自殺する自信があったから』

だ。

 

 クソ退屈でもなんでもいいから、自分に何か仕事を課さないと、余った時間を管理しきれず、最終的には一番テンションが上がる自殺という、世界に存在するなかでも最も悲惨な一大行事である自殺に参加してしまう確信があった。

 

 幸い俺はお勉強に対するネガティブな感情が弱かったので、何か課題をこなしたり、ささやかな好奇心に従って自分なりの疑問の解消に時間を使って、体力と頭を使っていれば、暇を消化するためにフラッと世界を俯瞰する機会は訪れないし、フラッとイイ感じの縄を用意して首に一生消えない模様を付けることも無いだろうと考えていた。そんな適当な暇つぶしの機会を得る場所として、ある期間である数の単位を取ってノルマを達成していく大学という場所は、一番コンビニエンスだったんだわ。

 

 しかし、死にたいと強く願っていた俺が、何故ここまでして自身の命を守るために行動したのかを考えてみると、結局身近な人を悲しませるのを嫌ったからだ。

 極めて普遍的、全然オシャレじゃない。

 まあ、無理矢理個性を出すとしたら、"身近な人を悲しませるのを嫌ったから"というのは、「身近にいる大事な人を悲しませたくない」じゃなくて、厳密にいうと「身近な人を悲しませる行動をとった自分を自分は絶対に許せない」という意味だという点かな。

 いつも中心にいるのは自分で、それを見ているのも自分。

 

 ほんとどこを切り取っても、結局は自分がなりたい自分を追求することしか考えてないね。

 別に嫌いじゃないけど。