本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

人間嫌い 跋:自分

1276文字

人間という生物を嫌う

 人間が嫌いな人って沢山いるよね。自分も人間のくせに。

 でも彼らって文字通り地球に存在する人類全てを嫌ってるわけではなく、心の拠り所として『この人だけは特別』をつくりがちだ。

 ちょっとずるいと思う。

 

 人が人間という生き物を嫌うに理由はいくつかある。

簡単に想像がつくのは、

・思い通りにならないから。

・姿や行動が醜いから。

・過去に酷いことをされた/した。

こういう人間の醜い性質に起因する人以外は別に人間が嫌いなわけじゃないと思う。自分は人間嫌いだって言う多くの人は、大抵他者との繋がりを気にして行動することが面倒なだけだ。

 全ては一言、人間関係を維持するのが面倒なのを、嫌いだと言って壁を作っているだけだ。

 

本当に大嫌い

 俺自身は人間なんて本当に大嫌いで、今すぐ滅んで良いくらいだと思っている。宇宙の観測者としての役割は他の星の生命体やら思念体に任せておけば良い。

 ここで重要なのは上で述べてきたように、嫌いだと言う理由だ。俺は人と人との繋がりというのはある程度のストレスレベルまでなら目を瞑って、維持していくだけの価値があるものだと考えている。だから気を使う事を面倒とかそういう風に思ったことはない。

 人間の歴史は戦争の歴史と言われるほど、残虐な一面を持つ生物。規模の大きな戦争から、隣の人間の心を破壊して自殺に追い込むいじめまで、現実を直視するには覚悟のいることが沢山ある現代において、とてもゆっくりではあるけど前進しようとする姿勢は美しく、大小の社会の発展に繋がるはずだ。造形に関しては生理的に拒否反応はないし、特に女性が支配的に持っている曲線には男は一生勝てない。

  つまり俺が人間を嫌う理由は、最もシンプルで、他人にされた酷いことと他人にした酷いことへのトラウマからだ。自分を中心に起きた出来事が頭から離れず、言われた言葉が耳から離れない。同じ過ちを犯すのがこわい。

 しかし最初に書いたように、全人類を嫌っているわけではなく、母親だったり、数少ない友達だったり、学校でお世話になった先生だったり、研究室の教授だったりは感謝と尊敬の対象だし、一丁前に好きな人がいたりするわけで、完全に特定の人は人間嫌いの枠から外れた『特別ルール』を作ってしまっている。

 

好き嫌いの共存

 では、ある物事に対して好き嫌いの感情は共存しえない矛盾した思考なのだろうか。そんなことはない、成熟した人間の心理的な性質として、しっかりと「アンビバレンス」という一人の人物に対して相反する感情を持った状態があることは広く知られている。

 

 そもそも心理学的な状態の話なんて、そんな面倒なことはサポートとして知識は持っておけば良くて、シンプルに人間嫌いと、ある特定の人物だけ好きになることは矛盾していない。だって恐らくその人はきっと周りにいる多くの人には無い特別な性質を持っているはずだからだ。特別なモノには特別な配慮が生まれるのは当たり前。

 

 だから俺は声高らかに宣言し続ける。

 俺は人間が大嫌いだ!