本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

気が向いたらやってみなさいよ

だいぶ脚色してます。

 

「あんたは文字を書きなさい」

ある日の喫茶店、対面に座る友人の手元にはゆらゆらと湯気が立ち上るコーヒーが置かれている。その一言はカップにミルクを投入しながら言い放たれた。

「俺はわりと書いている方だよ。書かないと頭の整理がつかない」

今もそうだけど俺は頭の中だけで考えを整理するのがとても苦手だ。今となってはもともと俺にそのセンスがないのか、訓練を怠ったのかは分からんが、お陰ですっかりメモ魔に育ってしまった。

「そうね、確かにあなたは文字を書く方だと思うけど、もっと大きな意味を持たせて良いと思う」

そう言ってミルクが混ざり切ったカップの中身を一口ふくむ。

「大きな意味?」

俺にとって文字を書くことは、単に考察を組み立てる上で、頭の容量を超えた思考を忘れないようにするための行為だった。

ほかに役割があるとすれば、良く言われるように心の整理だとか、自分と向き合うためだとかそんなありきたりなやつだ。しかし今も昔もその側面についてはあまり重要視していない。

それが本能だったら大したもんだと思いたい。

「文字を書くことは『思考の具現化』に繋がる。頭の中でうやむやになっている思考の構造が明確にこの世界に現れて、勝手に動き出す。あんたみたいに世の中が難しいと考える物事を単純な表現に落とせる人間は文字を書きなさい」

相変わらず面倒臭い言い回しが好きな奴だなと思った。しかも、意味がわからん。でも正しいんだろうなと感じた。Yの言葉の正しさは、実行した人間にしか体感できない。「書きなさい」なんて強い口調を使うくせに、それ以上はうるさく言わないから押し付けてくる訳でもない。

「Yは書かないの?」

俺の言葉を受け、確か右の口角を上げてニシシと笑った。

「わたしも書く。だけど誰かさんほど直感的に物事の簡単化が出来る才能がないから、私はせいぜい心の整理までね」

そして最後に、

「気が向いたらやってみなさいよ」

とか艶やかに微笑んで言ってくるから仕方がない。返事は決まってる。

「あー、気が向いたらな」

窓から外の景色を眺めながらあえて適当な態度で返事をしておく。絶対Yはいやらしく笑ってるんだもん。

なぜなら俺が頼んだアイスティーがいつもの様に全然来ないからだ。

 

さあ、文字を書き続けて15年近くが経過した訳だが、俺が書く文字には大きな意味が宿っているのだろうか。少なくとも何か表現が難しい満足感というか、充足感というか、心を満たす感覚があるのは確かで、しかも書いたことが後で別の意味を持って俺に帰ってくることがあったりして面白い。

 

ま、これからも気が向いたら書くんだろうね。