本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

最強の魅力は常識的であること

  世間は俺なんぞでは到底手の届かない様々な魅力をもった人で溢れている。

 あらゆる魅力のなかで最も魅力的なのは、常識的であることだと思う。

最強の魅力

 たとえば面白い人。これはなかなかハードルが高い。一緒にいるときは常に面白おかしいことを言ったり、したりしなければならない。性格や人柄が合致していなければ到底続けられるような趣向ではない。

  魅力的な人が必ず持っている性質は ❝常識❞ だと思う。

どれだけひょうきんでも、どれだけ博識でも、社会の一員として大人が常識的な振る舞いを知らないというのは、ただただ痛々しい。他人が他人と関わるとき最低限相手に不快な思いをさせず意思疎通が行われるには、この常識が大変偉大な働きをする。その偉大さを身に着けた人こそ最も魅力的に見えるはずだ。

 ああ、あと女性に優しい人というのは至極当然のことなので除外だ。

 

"常識"とは

 常識とは個人の偏見で作られた幻想のような扱いを受けるほど曖昧で、不確かで、時に和を破壊する危険なものだ。それでも社会の構成員として生きていくためには、所属する社会の常識を身に付けることが必要とされる。

 つまり常識というのはある社会における物事への共有認識である。

そしてその社会毎に変異するものであり、固定された形を持つものではない。だからこそ大きな魅力になり得る。

 この変幻自在な知識と価値観の集合体を数多く身に付ければ身に着ける程あらゆる社会で生き残ることができると考えられる。

 

常識と常識人の働き

 面白いことを言うにしても、その社会の常識を知ってこそ可能だ。博識足りえるにはその社会で必要な知識を理解してこそだ。常識を知らない人間は魅力的な人間になることは叶わず、逆に常識を身に付けた人のみより様々な魅力を身に付けることが出来る。

 多くの場で常識人と評される人間たちは、身に付けた多種多様な常識を良識へ昇華することができる。良識者らのお陰で世の中の相対する様々な極論同士の引っ張り合いにバランスが生まれる。いまバランスが取れていない分野があるとしたら、恐らく世界的な常識人不足で常識人の流入が遅れているのだと思う。

 

まとめ

・常識とは最強の魅力である。

・常識は所属する社会毎に異なる形を成す。

・全ての魅力は常識を身に付けてこそ発揮される。

・あらゆる常識を手にしたものは良識を持つことが出来る。

・社会のバランスを保っているのは常識人。

 

 いま俺がとても生きにくいと感じているのは、どこに行っても自分の心が納得できる常識をもつ社会に出会えていない点と、常識を完全に捉えれていない点が原因であろうと思う。そして、全ての社会で常識人が見付からないからだ。俺は社会のバランスを安定させられるほどの器量を持ち合わせているとは思えないので、もう少しバカやらせてもらう。

 

 でも本当に必要とされるときは大嫌いな常識という力を持った人になってやってもいいよ。