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本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

満足できない稚拙な単語

 俺は昔から口数が少なく、普段の会話でも本当に仲の良い友人相手じゃないとプライベートな話は積極的に始めないし、口論になっても最後の最後に謝罪するか、一撃で仕留められるタイミングが到来するまで全然口を開かないイヤらしい人間だ。

 ただ、それはあくまで声での言葉数の場合の話だ。文章で自分の考えを述べるときには驚くほどハッキリ表現するし、いかにも物理を専攻していそうな論理的かつ直接的な単語を好んで使う。研究成果を論文やレポートにまとめる際には非常に役に立つ性分なのだが、普段の会話やゼミでの議論においては全く役に立たないどころか、足を引っ張る素材に成り代わる。

 なぜなら、常に自分の頭で文章を組み立ててからじゃないと声に出せないようになってしまったからだ。そのお陰でいつも人よりワンテンポ遅い返答になってしまうし、そもそもタイミングを逃して返答できないという場面も数えきれないほど経験してきた。頭の回転が数段早く、文章の推敲が瞬時に完了すればいいのだが、俺の脳みそはそこまで充分な経験を積んでいない上、会話においては相手の言葉の処理にも脳みその容量を使わなければならないのだから、文章を書く作業と比べてかかる負荷が大きすぎる。結局自分が満足できない稚拙な単語の羅列で会話を済ませることばかりで、自己嫌悪を抱えるばかりだ。

 しかし、この癖を直そうと思って、思ったことをパッと言葉にすると大抵支離滅裂な文章が飛び出してしまうからもう後戻りは出来ない気がする。何度もその失敗でここでも自己嫌悪に陥ってきた。でも親しい人とリラックスして話をしている時は流れるように自分の思いとシンクロした言葉が飛び出すこともあり、評判自体は悪くない。

 今は、逆に考えればこの癖を極限まで磨き上げることで、俺の会話は洗練された文章で遂行されることになるとポジティブに考えている。

 比較的理屈っぽくて、クサくて、書き言葉の叙情的表現を多用するタイプだけど、元々物書きを目指していた過去と、俺の話し方は優しくて柔らかい表現が多くて好きだと言ってくれる人らの存在のお陰で今日もこうして俺は会話を組み立てる練習を続ける意思を持つことが出来ている。

 いつか全ての人達に俺の気持ちを流れるような言葉で伝えられますように。