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本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

そもそも言葉なんてものは

 頑張るとかさ、大丈夫とかを勝手に薄っぺらい言葉だと認定して使うのを避け、使う人を蔑む人がいた。薄っぺらい響きになってしまうのは言葉の所為なんかじゃなくて、単にその言葉を使いこなす深みを持っていないだけでしょ。言葉に霊を宿して立体感と説得力を持たせる為には、それなりのバックグラウンドが必要なんだよ。

    寧ろ俺は"大丈夫"って言葉が結構好きで、息を吐くように「だいじょぶだいじょぶ」と言ってしまう。でもそれは適当に放ってるわけではなく、本当にだいじょぶだと思ってるから使ってるんだよ。ただ、俺の「たいじょぶだいじょぶ」を聞いた人たちが大丈夫だと思うかは、その人の目に俺がどんな人間に映ってるのかによるから難しい。それから"頑張る"も好きなんだけど、頑張るってどこか無鉄砲で空回りしそうだし、ちょっと硬い言葉に感じるから、すこし柔らかくする意味も込めて「適当に頑張る」としたい。なんかその方が優しい響きだし少し温かいと思う。発した言葉が人を安心させられるような男になりたいね。

 

 言葉を使うとき、言葉そのものに一定の力があるなんて思ってはいけない。言葉を温かくしたり、鋭くしたり、薄っぺらくしてしまう自分を恐れたり戒めたりすべきだ。言葉なんてただの道具なんだからさ。俺は物理学が専門なんだけど、物理をやっていると実験結果を報告する際なんかには言葉は完全に単なる道具と化し、温もりや風景や感情などの余計な物が徹底的に削ぎ落とされることで、言葉の道具らしさをより強く感じられる。

 そもそも言葉なんてものは目に見えて不完全なツールで、真剣に向き合うほどリアルとのギャップに失望するもの。だけど自分の生き方にはどうしてもその如何わしい道具に頼らざるを得ない分けで、苦悩しながら自分の言葉を生み出せれば楽しいかな。別に言葉の使い方の裏にある理由までは伝わらなくても良いけど、その不完全さのお陰で宿すことの出来る立体感や空気感が薄っすらと伝われば良いなと思う今日この頃。