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本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

人の命ってやつは

こころ 考え 未完

 どうしてこんな良くあるテーマについて書いてこなかったのか疑問だけど、やっぱり必要だと思うので書く。

    人なら自分の命や人の命について考える時が来る。例えば『人の命は平等なのか』、例えば『なぜ人を殺してはいけないのか』。

明らかに狂ってるものを除いて、人それぞれ自分の経験を顧みれば漠然としたものかも知れないけど、答えを出せるんじゃないかなと思う。

 ここには今の俺の答えを書いておく。

1. 人の命は平等か

 俺の考えでは人の命ってやつは全て平等に与えられ、与えられた者は同じ様に比較され、同じ様に評価される。そういう意味では人の命は平等だ。しかし重さ・価値の話をするのなら話は別で、価値なんてものは見る人によって変わる相対的なモノなのだから、全ての命がある場面で等しく同じだけの価値を持つなんてことはあり得ない。価値というのは難しいもので、その人を求める社会体制の時代もあれば、排斥しようとする社会体制の時代もある。価値とは基本求める者が多ければ高く、少なければ低い。恐らく人の命もそうだと思う。

    でも社会が人を求めるわけじゃないから、人を求めるのは人だから、社会の流れに捕らわれず、必要としてくれる人の元へ行けばいいんだよ。そうすれば価値なんて下らないものを気にする必要なくなるから。

 

2. なぜ人を殺してはいけないのか

    例えば誰かが俺を殺せば、俺が担っていた役割に穴が開く。それは事務的なものではなく、心の繋がりだったり、或いは血の繋がりから生まれる役割だったりする。多くの場合それらは簡単に替えが利く様なものではなく、繋がっていた人たちにも大きな負担が伴う。それに人を一人殺すというのは、殺された人だけが死ぬわけではない。死んだ人を愛していた人の心も同時に死ぬんだ。そんな痛みや悲しみ、そして憎しみを遺された人達に背負わせる権利なんて誰にもない。

    そしてこれまでの思い出や、その人がこの先誰かと出会う可能性、出会った人と親しくなり一緒に笑う時間を過ごす可能性、そんな目に見えない物語を誰しもが持っている。それらを奪う権利も当然誰にもない。後にも先にもそんな権利を与えられた人間は絶対に現れない。だから人を殺してはいけない。

 

    俺もいつまでこんな温いことを言ってられるかは知らないけど、少なくとも今はそう思うよ。