本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

根底にあるものが違っていたとしても

 精神疾患と一口に言っても、それだけの共通点で集うのは危険だ。例えば、俺の知り合いは唐突な

「死ぬかもしれない、死ぬのが怖い」

という恐怖に苦しんでいるが、自分は死ぬかも知れない恐怖に襲われたことなんて無いし、寧ろ常に早く死にたいと思ってるタイプの人間だから、迂闊に近付いても心の内にある逆の考え方が衝突してしまうことがある。結果として支えあう関係は築けず、お互い望まぬダメージを負うことに。こうなってしまう要因は両者共に理解者が欲しいばかり、心を開く時期を焦ってしまうことだ。どんな繋がり方でも人と人の関係は表面からゆっくりと知り合うのが最良の方法らしい。

 

 俺はTwitterで同じような病気の人と絡んでるんだけど、Twitterで人が沈んでいるのを見かけると、気持ちが分かるはずなのに意外と何て声をかけていいか悩んでしまう。自分が沈んでいるときに言ってほしい言葉を必死に絞り出すのだけど、なかなか出てこない。こうなると俺って辛いときに寄り添ってくれた人たちの言ってることちゃんと聞いてこなかったんだなって落ち込むんだけど、実際はそんなことはない。気持ちが落ちてるときは、とにかくこの世に自分の味方は一人としていないと思う程寂しいから、人が声かけてくれるという事実だけで嬉しいものだ。だから自分が声を掛けるときはあまり考え込まずになるべく寄り添うようなことを言えばいいんだと思う。それにTwitterで知り合ったような関係ではそこまで核心的な言葉をかけるのは難しいよ。あと、たまに落ち込んでるときに頂いた言葉に納得いかなくてイラッとすることもあるけど、イラッのエネルギーは立ち直るのに役立つ。T850も"怒りは絶望を忘れさせる"って言ってたしね。

 

 また長くなると後で読むときにダルいからここらで纏めておく。根底にあるものが違っていたとしても、俺たちはそれぞれ命に関わる生き辛さを抱えて過ごしてるわけだから、一線を越える愚かな事だけはしないように支えあえたら良いなと思うよ。そして本当の友達になるのはその結果。