本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

幼馴染との話③

    だいぶ記憶が曖昧だけど、強引に書いた。
 
    出会ってから2年経った。2人は小学校4年生。まだまだガキンチョだ。それでも俺は、Yを除いた全ての同い年に肩を並べるものはいないと言い切れるほど、多くの知識と教養をYから吸収した。
 
    Yが見てる景色はまだ見えない。
 
    この頃になると、ずっと聞いてばかりだった俺から、知りたい事を主体的に質問するようになっていた。まあ、質問の内容はその年齢にしては異端だと思うけどね。その代表がこれだ。
「人に生きてる意味なんてあるの?」
大人でも全員が明確に答えられないような質問でも、Yは簡単にはっきりした口調で答えてくれる。

「無いよ、でも意味なんて後から付いてくる。それが分かるのは死ぬ寸前って事もある。意味が先に用意されてることにろくな事はない。でも意味を見出す資格は、それを全うした人間にしか与えられないけどね」

毎日不屈の努力でYの乱暴な言葉遣いを注意してきた成果なのか、だいぶYの言葉遣いは柔らかくなったと思う。
「ふーん」
Yの言葉には何か頑丈な裏付けでもあるかのようだった。

    当時は軽く納得してたけど、今思えばとても大事な事を教わっていたのかも知れない。年をとると自由な時間も少なくなり、効率よく意味ばかり求めるようになる。でもやっぱりYの言っていた通り、初めから意味が用意されてることにはろくなことはない。後で出会った思い掛けない意味は強固で、感動に満ちている。
 
    意味は自分で見出す。見出せないのは、それを見付ける視点を持っていないからだ。沢山のことを経験すれば、不意にその意味に出会うことができると信じてる。俺が生きてる意味も、突然現れるんだろう。