読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

信頼は脅迫だ

    人間の完璧さを信じる人の信頼はある種の脅迫だ。

    人は、他人と繋がりを持つ時、信じて入る人と疑って入る人に分けられるだろう。無関心は繋がっているとは言えないからここでは除外する。
    俺は俺が信頼している人に関しては100%信頼している。その信頼が含んでいる意思は
『やる事は適当にやるだろうし、怠けたい時は適当に怠けるだろう。時には過ちを犯すこともある。でも明確な意思を持って誰かを唆したり、信念のない反論や誹謗を繰り出す事は絶対にない』
くらいだ。後半はかなり強めの表現だけど、信頼の置ける人にはその位求めても良いはず。対して前半はかなりゆるめだ。表現もそれこそ適当で不完全。でもそこに込められている『赦し』はとても重要だと思う。信頼というのは相手への赦しが内包されていなければただの脅迫だ。俺がこれまで信頼してきた人たちがそうだったように、俺も人を赦していきたい。
『お前は絶対に俺の期待を裏切らないし、間違いを犯すことは100%ない』
こんな窮屈で狂信的な意思を向けてくる人と良い関係が築けるとは思えないよ。

    もし今自分が信頼していると思い込んでいる人の行為を赦すことが出来なければ、それは不完全だけど美しい信頼ではなく、完全に醜い脅迫だ。