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本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

俺の声って

考え こころ
    多くのケースで言葉は文字か声。『多くのケース』とは言ったけど、正直他の形態は思い付かない。あったら教えて欲しい。
    文字と声では情報量が違う。文字に抑揚はないけど、声にはある。さらに言えば、対面していれば声にはその人の表情とか仕草とか、様々な補填要素が加わる。
    抑揚があると、何が大切なことなのか、何を伝えたいのか、どんな感情でその言葉を発したのかがわかる。とても大事なことだと思う。手紙が衰退した今のデジタルな文字での意思疎通では、いくら感情を乗っけても、文字の羅列に抑揚は生まれない。コミュニケーションとしてはLINEとかメールは簡単で便利なツールだけど、大切な人との話とか、大切な事柄についての話では強いもどかしさを感じるはずだ。会話でさえ感じるんだからね。
    そこで最近思ったのが、俺の声には抑揚がない。俺の声って文字みたいだなってこと。喋ってると、一旦活字に起こして、それを無表情で何の抑揚もなく読んでるだけみたいに感じて気持ち悪くなった。俺の言葉には、文字と声の差がない。どうしてなのか、いつからなのか、考えても分からない。自分では感じられないけど、相手はちゃんと感じてくれているかも知れない。でも確かめる相手がいないわけじゃないけど少なくてね。そもそもそういうのを感じてる人って俺以外にいるのかな。
    俺が発する声の言葉、まだ死んでないといいんだけどな。