本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

それでも手を差し伸べる

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 かれこれ11年も精神疾患を持ちながら生きてきたことになる。

 11年あって家の外で出会えた理解者は5人程度。これはかなり多い方だと思う。少ない人なら100年生きても1人も出会えないだろうし。とはいえ、その5人とずっと仲良くしてたわけじゃないし、今では親しくしている人も1人だけだからそんなにずっと賑やかってわけでもない。ゼロの時間が占める割合が圧倒的に長いわけだしね。さらに言えば、俺の声を聞いてくれる5人に出会うまで、1人に対して最低でも100人の聞こえていても聞こえないふりをした人に素通りされてるわけだから、それなりに苦労はしてきたつもりだよ。

 冷静なときの俺は、ちゃんと面倒見られないなら声をかけるべきじゃないし、縋り付く手を拾わない方が良いって思ってる。中途半端に力を貸して途中で投げ出すか、最悪共倒れで終わるだろうから。俺だって自分の体調を最優先にして、何百という悲鳴を見過ごしてきた。

 TwitterでもFacebookでもなんでも良いけど、明らかな見て見ぬふりをかまされたときは相当腹立つし、本当に飛び降りて呪ってやろうと思うし、同じ病気になれば理解してくれるなら同じ病気になれば良いのにって一瞬だけ思ってしまう。でも次の瞬間にはその考えは間違いで、絶対に同じような苦しみを味わってほしくないし、万が一同じように苦しむような事態に陥ったら、無視されてきた怒りとか悲しみとか色々思い起こすんだろうけど、それでも俺はその人に手を差し伸べるんだろうなって思う。

 

    話し相手くらいにはなるよ、それから適当な踏み台にしてくれ。

親しい人が「死にたい」と言っていたら

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 本当に元気ない時って人を頼る元気も出ないですよね。誰かに相談するにしても、沈んだ空気を漂わせて相手を困らせるのも嫌ですし、心が沈んでいる明確な理由も見つかっていないのに、時間と気を遣わせるのも気が引けますしね。それでも力を振り絞って声を掛けたその人は、本当に心から信頼している人なんだと思います。僕がそうであるように。

 

 僕が元気なくてもう何もかも終わらせたいと思った時に頼ったその人は、普通ならあまり選択しないのかなと思うような一言を簡単に、サラッと言ってくれました。

「元気出せよ」

 これ、所謂メンヘラと呼ばれる僕たち或いはその人達に近しい人達は、おそらく進んでこの言葉を使おうとは思わないでしょう。そんなことは無理でツラくて苦しくて仕方ないから頼ってきていることが想像つくからです。

 

 親しい人が「死にたい」と言っていたら、どう応えれば良いのかは大変難しい問題ですが、元気ない時や病んでいる時に、頼られたあなたはきっとその人に信頼されています。ですから、ヘビーな雰囲気が漂っていても、そんな時こそ自然体でストレートな言葉を掛けてあげるのも効果的かも知れません。