本当に大切なことは誰にも教えたくない

10年ほど前からメンタルを傷つけて病んで悩んで、自分なりに導き出した結論。たまに日常。

人が倒れる瞬間に二度ほど遭遇した

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 研究室に所属して、人が倒れる瞬間に二度ほど遭遇した。

 一度目は学部四年の卒研生のとき、二度目は修士二年のとき。

 まず、これまでの日常生活の中でも家族や友人が倒れる所を目の当たりにしてきたので、あからさまにソワソワして動揺を見せることはないんだけど、冷静なはずの状態で行ってきた対応は、今思い返しても反省点ばかりだ。

 

手当と指示

 まず、学部の頃の話から。

 倒れたのは同期の女の子だった。状況としては、卒研生用のゼミが終わって、教授を含めて人がどんどん減っていき、残ったのが当人と俺ともう一人だけ。彼女とはそこまで親しい関係ではなかったけど、何となく、体が強い子ではないのかなという印象を持っていたから、倒れたこと自体には驚かなかった。

 俺が一番近くにいたので、まず何とか起きようと頑張るのを止めさせて安静な姿勢を保たせてから、声を掛けて正常な意識と呼吸があるのか、意思疎通が可能なのか、復帰の可能性があるのか等を確認した。呼びかけに反応は出来るけど会話が出来ないみたいなので、このまま素人のみの対処では復帰までの対応は不可能だと判断して、大学の医務室から健康課の看護師さんを呼んで、回収してもらった。

 健康課への連絡は、残っていたもう一人に指示してやってもらって、俺はそばで声掛けと、視覚を消失しているみたいだったので、姿勢を整える手伝いをしていた。

 数時間後に本人からお礼の連絡が来たので、大事に至らず無事回復したようで、それは素直に安心することができた。

 このときは、所謂「応急手当」としては最も簡単なことを率先して行いつつ、周囲に健康課への連絡の指示を出したりする役割をしたが、日ごろ身近な人とのコミュニケーションを怠り、その人の見えない病気について察知する機会を設けなかったという姿勢は、最悪人を殺すことになるんだと強く反省した。

 見えない病気については一番理解があるはずで、この数カ月前に最悪な事態を招いたばかりだったのに、本当に進歩のない男だと落胆した。

 

周囲のケア

 二度目は修士二年のゼミの途中。パソコンで作業をしていた卒研生が痙攣して椅子から転倒した後、泡を噴いて引き付けを起こした。発作が起こった直後は呼吸が乱れ、意識は朦朧として意思疎通も出来ない状態に陥ったので、流石に直ぐ大学の健康課に連絡を入れて、適切な処置ができる人を呼んだ。

 待っている間、見た感じだとよくある癲癇(てんかん)の症状だなあ、と思っていたら、やはり過去に癲癇を発症していた経験があるらしく、本人は完治したと認知していたらしいけど、残念ながら再び発症してしまったらしい。

 その時のゼミは簡易的なもので、俺を含めたM2三人と教授、そして当人の五人だったんだけど、俺だけ役立たずだった。教授とM2の一人は介助にまわって、もう一人のM2は健康課への連絡からその後の誘導などを率先して行った。俺は人が倒れる場面に慣れ過ぎているのか、やけに冷静だったんだけど、特に何か行動したわけでもないし、倒れた後輩の世話を手伝ったわけでもなかった。

 俺がしたことと言えば、騒ぎを聞きつけた野次馬の対応だったり、明らかに動揺してそわそわしてる同期に看護師さんや救急隊の誘導役と病状について詳しい親しい友人がいないか探すよう指示したりして、少しでも同期が落ち着くよう、体を動かしてもらう仕事を回したくらいだ。

 確かに人が倒れた時は、一人くらい状況を客観的に見て、指示を出す人間が必要なのかなとは思うんだけど、今回の俺の立ち回りがそれに値したのかはかなり怪しい。

 今回のケースから分かったのは、自分が直接対処する役回りに無いと、何をして良いのか分からなくなってしまうということ。

 この後輩も、病院に運ばれた後しっかり体調を戻して無事回復したのは良かったけど、今回の自分の消極的な行動力は絶対にダメだ。

 

おわりに

 緊急時に冷静でいられることは、悪くないと思う。ただ、身近な人に限っては、倒れてからその人の病気について推定するのではなく、日ごろからのコミュニケーションから事前に察知する機会を設けなければならない。そして、自分が直接的な対処を行わない時、例えば荷物の整理だとか、救急隊が駆け付けたときに欲するであろう情報を収集しておくだとか、細かいことに気が回るようにならないとダメだなと反省した。

家の力が衰え始めたこの時代に生まれたこと

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 父方の祖母と伯父夫婦と食事をした。

 祖母は80近付いても出会ったころからの可愛らしさと賢さは衰えておらず、俺ら孫に向ける笑顔に内包された優しさは、一層強いものになったと感じた。祖父がいなくなった今、我が家の柱となった祖母が、今と同じように元気でいてくれる内は、我が家もしばらくは安泰だろうと確信した。

 また伯父に関しては、歳を重ねても男前だし、職業の影響もあるとは思うけど、還暦を迎えた今も相変わらずしっかりした人で、隙が無いなあと感心したし、長兄としての立ち振る舞いは尊敬すべきだと感じた。まあお酒に弱いのは少し残念なところかな。でもいつかは長男同士二人で飲みに行けたらいいなあと思う。

 今回俺が一番面白かったのは、一番話が合うのが伯母だったということ。伯母は物心ついてその存在を認識し始めたころからずっと美人で、しかも誰に対しても物腰柔らかなフットワークがすごいなあと思っていた憧れの存在だったんだけど、半世紀生きた今も高校時代にファンクラブが存在していたことを証明するくらい美人で、美人故に被った苦労と美人故に得た恩恵から培った能力の高さを改めて実感した一日だった。

 その伯母が俺の研究に対して強い興味を示してくれて、よく話を聞いてくれたことに感激した。俺の研究領域が医学に肉薄している点と、伯母が医学の知識に明るい点が齎した結果だと思う。でも純粋に、憧れていた人に評価されることは嬉しいことなんだなあと思った。

 

 俺の一族の男たちには、未だ男尊女卑の考え方が色濃く沁みついていて、祖母と伯母はそれぞれ夫に苦労してきた人たちだ。残念ながら俺の母もその仲間に入ってしまった。

 そして、その体制に違和感を感じ、反抗する気持ちを持った俺が、少子高齢化の波をもろに受けて家の力が衰え始めたこの時代に生まれたことにも大きな意味があると思う。

 

 俺の今後の生活が、俺の考え方に対する期待感に応える結果を齎してくれたら幸いだけど、それを第一に考えて生きていくつもりはそこまで強くないよ。

 俺は、あくまで俺が正しいと思うことをするだけ。

 あとは、結果よ。

 

 それから、俺の舌には紹興酒は合わん。

今度は日本酒を楽しめるところで食事したいから、まだまだ三名には元気でいてもらいたい。